「自己に絶望し、人生に絶望したからといって、人生を全面的に否定するのはあまりにも個人的ではないか。人生は無限に深い。われわれの知らないどれほど多くの真理が美が、あるいは人間が、かくれているかわからない。それを放棄してはならない」
亀井勝一郎
亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年(明治40年)2月6日 - 1966年(昭和41年)11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本藝術院会員。
北海道函館区(現・函館市)元町生まれ。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)から旧制山形高等学校(現・山形大学)経て、1926年(大正15年)に東京帝国大学文学部美学科に入学するが、1927年(昭和2年)には「新人会」会員となりマルクス・レーニンに傾倒し、翌1928年(昭和3年)には退学。
同年4月には治安維持法違反の疑いにより豊多摩刑務所に投獄され、1930年(昭和5年)に保釈される。1932年(昭和7年)にはプロレタリア作家同盟に属すが、翌年には解散。以後、同人雑誌『現実』(1934年)、『日本浪曼派』(1935年)を創刊し、評論を発表する。1934年、最初の評論集『転形期の文学』を刊行。
1937年(昭和12年)には『人間教育(ゲエテへの一つの試み)』を刊行。同年、武者小路実篤と顔を合わせる。1938年(昭和13年)、『人間教育』が評価され菊池寛より池谷賞を受ける。同年の『日本浪漫派』廃刊後は、『文学界』同人となり、以後同誌に多く連載した。この頃に、太宰治と親密になる。同じ時期に大和路紀行を行い、古代・中世の日本仏教との出会いにより開眼、聖徳太子、親鸞の教義を信仰し、その人間原理に根ざした宗教論、美術論、文明・歴史論、文学論の著作の多くを連載出版した。
1942年(昭和17年)に、日本文学報国会評論部会幹事となった。1945年(昭和20年)8月、第二国民兵として3日間軍事教練を受け、その3日目に敗戦の報を聞いた。
戦前・中は、武者小路実篤の人生論を解説つきで出したが、戦後昭和30年代に再びこれを再刊し重版した。自身の人生論・恋愛論の類もベストセラーで、複数の版元で多く重版された。新版再刊も多かった。
1959年(昭和34年)より『文學界』に、ライフワークとして「日本人の精神史研究」を連載開始した。1964年(昭和39年)に、日本芸術院賞受賞、翌年には芸術院会員に選ばれた。1965年(昭和40年)『日本人の精神史研究』等で、菊池寛賞を受賞したが、翌年ガンにより亡くなった。「日本人の~」は全6巻予定だったが、5巻目の半ばで中絶した。
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