「わかるだろうか・・・・人生には解決なんてないのだ。ただ、進んでいくエネルギーがあるばかりだ。そういうエネルギーをつくりださなければならない。解決はそのあとでくる」サン・テグジュペリ
なんでこんなことを言うのだろうというのは、その人の人生経歴をみれば、なるほどなんてわかる。戦争の時代に自ら志願して44歳でなくなるなんて、「星の王子さま」の作者。
アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, comte de Saint-Exupéry、1900年6月29日 - 1944年7月31日)は、フランスの作家、操縦士。郵便輸送のためのパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。読者からは「サンテックス」の愛称で親しまれる。「ロジェ」までが個人名、「サン=テグジュペリ」が姓。爵位は伯爵。
デビュー作『南方郵便機』(1929年)は、男女間の恋愛を描いた唯一の作品である。構成技法その他の理由から、あまり高く評価されていない。
『夜間飛行』(1931年)と『人間の土地』(1939年)はベストセラーとなり、彼の代表作として高く評価され、現在でも世界中で広く愛読されている。伝統あるフランスの植民地文学の香気を伝えるものとしても名高い。
『戦う操縦士』(1942年)は、書かれた時代背景がその存在意義と評価を決めた。ヒトラーの『我が闘争』に対する「民主主義の側からする返答」として高く評価され、アメリカで先に出版された英語訳『アラスへの飛行』(1942年)はベストセラーとなった。占領下のフランスでも制限付き(初版発行部数2000部余り)で発売されたが、すぐに発行禁止となり、地下出版物(リヨン版)として反ナチ派の間で読み継がれた。
『星の王子さま』はニューヨークでは1943年4月にレイナランド・ヒッチコック社から英語訳(『The Little Prince』)とフランス語版(『Le Petit Prince』)が、フランスでは死後の1945年11月にガリマール社から出版された。実際に発売されたのは1946年になってからだと出版社は主張している。多くの誤植と原画に忠実とは言えない挿絵だったが、1999年になってガリマール社が誤りを認め、誤植や挿絵を修正した。自身で描いた素朴な挿絵も長く愛されている。この挿絵は、彼の肖像と共にユーロ導入前の50フラン紙幣に描かれている。
『紅の豚』で1920年代の飛行艇乗りを描いた宮崎駿はサン=テグジュペリの愛読者である。新潮文庫版堀口大學訳『人間の土地』に解説とカバー絵を、『夜間飛行』にカバー絵を書いている。[3]
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